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螳臂当車『本当の賢治を』
『校本宮澤賢治全集』は一度立ち止まり、一から出直すべきでは
さて、『事故のてんまつ』の出版に関わる故人の名誉毀損と差別問題については出版差し止めの仮処分申請が出され、筑摩と遺族側との話し合いの結果、絶版回収ということで和解したし、筑摩は「総括見解」も公にして詫びたという。
一方、これと同じ構図にあった〝「新発見の252c」等の公開〟の方はどうであったかというと、その公開後、〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布してしまったと言える。のみならず、賢治に関して実績のある筑摩が活字にしてしまったからなおのことであろう、件の推定群⑴~⑺は独り歩きしてしまって「事実」となった。
まさに、大明敦氏が、「宮沢賢治と保阪嘉内の「決別」をめぐって」という論文の中で、
賢治の年譜としては最も信頼性が高いとされる『校本』の年譜に記されたことで、それを「説」ではなく「事実」として受け取った人も少なくなかったであろう。
と危惧しているようにだ。
その結果、その「事実」に基づいて少なからぬ賢治研究者が、露をとんでもない悪女であるとした論考等を著している実態がある。不公平で極めて残念なことだ。
ただし、件の「新発見の252c」とか、「判然としている」とかについての典拠がいくら調べても見つからなかったことなどから私は逆に示唆されて、この〈露悪女伝説〉を検証してみる必要があると決意した。そしてその検証等の結果、露は賢治から感謝されることこそあれ、露が悪女であったことを裏付けるものは殆ど何もないことが分かったから、この〈悪女伝説〉は創られたものであろうと確信し、露は悪女の濡れ衣を着せられたという立場から、私たちは、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(森義真、上田哲、鈴木守共著、ツーワンライフ出版)

においてそのことを公にした。
なお、賢治の詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕のモデルが高瀬露だから露は悪女だと主張する人も中にはいるが、その有力なモデルは他におり、それが露であることの蓋然性は限りなくゼロに近いということを始めとして、露が悪女であることの客観的な根拠は何一つないということを私は実証できたので、露は悪女とは言えないということを『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ社)』でも公にした。
さらに、

や

に於いても、〈露悪女伝説〉は濡れ衣で有り、冤罪であるとも言えると、筑摩書房に直接的にも訴えた。
ところが、『校本全集第14巻』がなぜ「新発見の252c」とし、はたまた、「判然としている」と断定できたのかというその客観的な典拠を、出版元の筑摩書房は我々読者に相変わらず明示してくれない。したがって現段階では、〝「新発見の252c」等の公開〟は結果的に露に「とんでもない悪女である」という濡れ衣を着せてしまった、と私は言わざるを得ない。
一方でこの「252c等の公開」によって、賢治には従来のイメージとは正反対の、「背筋がひんやりしてくるような冷酷さ」があった、ということがはしなくも公開されてしまったと言える。しかもこのことは、今となっては覆水盆に返らずだ。だから私は、この上、「恩を仇で返す」ような賢治であってはほしくない。
というのは、巷間、露はとんでもない悪女だとされ続けているわけだから、この実態が続けば、賢治が生前血縁以外の女性の中で最も世話になったのが露であったというのに、賢治は露に対して「恩を仇で返した」と歴史から裁かれかねないからだ。しかし、この悪女が濡れ衣であったならば、賢治は露に対して「恩を仇で返した」、と誹られることは避けられるし、しかもそれは濡れ衣であったということを私たちは実証できているから、賢治と露のために筑摩に改めて問う。
せめて、なぜ「新発見の252c」と、はたまた、「判然としている」と断定できたのかという、我々読者が納得できるそれらの典拠をまずは情報開示していただけないか、と。そして願わくば、『事故のてんまつ』の場合と同様に、「252c等の公開」についても「総括見解」を公にしていただけないか、と。
そもそも、このような実態は理不尽なことかもしれないということに普通は気付くはずだから、それを看過してきたのは一出版社のみの責任ではなく、私たちにも少なからずある。だから今、「あなたたちも看過してきました。とりわけこれは他ならぬ重大な人権問題です。研究者としての矜持は一体どこへ行ったのですか」、と賢治から厳しく問われているのかもしれない。
そして『校本全集第14巻』が「新発見の書簡 252c」等の公開をしたという事件をおこしていた頃に、まだ正確には私は全体像を把握できてはいないが、これと似たような事件、あの『絶版回収事件』と同じような『月報回収事件』も起こしていたことも知った私は、なおさら
『校本全集』は一度立ち止まり、一度一から出直すべきではないでしょうか。
と言いたい。
というのは、『事故のてんまつ』の「絶版回収事件」については、担当編集者の原田奈翁雄が厳しく総括したからこそ、その結果、「一から出直すことができた」はずだ。それ故に、社史『筑摩書房 それからの四十年』の「あとがき」の中に、
というように、てらいなく書けたとも思う。
ところが、「絶版回収事件」と同じ構図にあった「〈悪女・高瀬露〉は冤罪である」<*1>に関しては、こちらの担当編集者は原田奈翁雄とは違って知らん振りをした。もしその時に、『事故のてんまつ』を他山の石と認識して、あの〝⑴~⑷〟についても自分たちが為した事柄を真摯に自省しておれば、こんな筑摩らしからぬ「杜撰」が今でも相変わらず残ったままだという事態はなかったはずだからだ。そして、『月報回収事件』に関わった担当編集者も同様にだ。
<*1:註> 「絶版回収事件」と「〈悪女・高瀬露〉は冤罪である」は次の点で酷似していて、
㈠ 両者とも、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」という、まさに倒産直前の昭和52年になされたことである。
㈡ 両者とも、当事者である川端康成(昭和47年没)、高瀬露(昭和45年没)が亡くなってから、程なくしてなされたことである。
㈢ その基になったのは、共に事実とは言い切れない、前者の場合は「伝聞の伝聞そのまた伝聞」である「鹿沢縫子」の原話であり、後者の場合は賢治の書簡下書(所詮手紙の反故であり、相手に届いた書簡そのものではない)を元にして、推定困難なと言いながらも、それを繰り返した「推定群⑴~⑺」である。
㈣ 共に、故人のプライバシーの侵害・名誉毀損と差別問題がある。
㈤ 共に、スキャンダラスな書き方もなされている。
この二つは同じ構図にあるということに気付く。
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1 ☀一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣
この度、「一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣」という取り組みを始めました。
それは、次の二つのことをしていただくことです。
⑴ 『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を読んでいただく。
⑵ 『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』をどなたかに手渡す。
2 〈悪女〉の濡れ衣を着せられた高瀬露
生前、宮澤賢治が、血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露(小笠原露)のはずですが、その露はとんでもない〈悪女〉にされていて、いわゆる〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているという実態があります。しかし、少し調べてみただけでも露はとてもそうとは言えなさそうであることに私は気付きました。そこでこの〈悪女伝説〉をよくよく調べてみたらそれは濡れ衣の可能性が大であり、もしそうであるならば重大な人権問題だから放っておくわけにはいかない。そこで、地の利も生かしながら調べてみたらそれは濡れ衣であることを実証出来ました。その経過とたどり着いた結論などを一冊にまとめたものが拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』です。


これは濡れ衣ですし、人権問題ですから、その濡れ衣を晴らしたいと思っております。つきましては、まずこの理不尽な実態を多くの人に知ってもらいたいと考え、皆さんにこの様なお願いをする次第です。
3 お申し込み方法
このような取り組みに賛同して頂ける方は、以下のような流れでお申し込みください。
⑴ スマートレター(210 円)をコンビニや郵便局窓口などでご購入いただき、宛先欄に「お客様のご住所とご氏名」をご記入ください。
⑵ スマートレターを三つ折りにして、封筒(長三封筒がオススメ)にお入れください。
⑶ その封筒に「〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守行」とご記入し、110円切手をお貼りの上、ご投函ください。
⑷ 投函していただきました封筒が鈴木守に届き次第、スマートレターに『このままでいいのですか『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を2冊(本代はもちろん無料です)同封して返送いたします。

⑸ 2冊のうちの一冊はお申し込みを頂いた方に読んでいただく。
もう一冊は、興味のある方に手渡していただく。
***************************以上です****************************
どうぞよろしくお願いいたします。 鈴木守

螳臂当車『本当の賢治を』
賢治のこととなるとバイアスかかりすぎ
さて、『事故のてんまつ』が出版された昭和52年に、同じく筑摩から出版されたものとして『校本宮澤賢治全集第十四巻』もある。
一般的には、同巻のメインは「宮澤賢治年譜」であるはずだが、巻頭に「補遺」があるので私には唐突さが感じられ、以前から訝っていた。そしてこの度、その頃既に筑摩は経営が傾いてきていたということを知ってしまった私には、このような構成は、筑摩としてはこの「補遺」によって世間の注目を浴び、経営危機に陥っていた同社を建て直そうと考えたからだということが否定できないという見方が、脳裡をよぎった。それは特に、その「補遺」の中で、「新発見の書簡下書252c」とセンセーショナルに表現して、関連する賢治の書簡下書群を公にしたことからも窺えた。
しかしながら、このことに関しては、同巻の「宮澤賢治年譜」担当者でもある堀尾青史が、
今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね<*13>。
と語り、天沢退二郎も、
高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである<*14>)。
と述べているから、どうも「新発見」とは言い難い。これでは、露が亡くなるのを待って公表した、ということをはしなくも吐露しているようにも見える。
しかも同巻は、一般人である女性「高瀬露」の実名を顕わに用いて、「(252cは)内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定<*15>した。その客観的な典拠も明示せずに、全く論理的でもなく、である。そのあげく、「推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」と前置きして、「困難」なはずのものにも拘わらず、
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)
⑵、本書簡(252a)(法華信仰の貫徹を望むとともに、病気で会えないといい、「一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。」として、愛を断念するようほのめかす。ただし、「すっかり治って物もはきはき云へるやうになりましたらお目にかゝります。」とも書く)
⑶、高瀬より来信(南部という人の紹介で、高瀬に結婚の話がもちあがっていること、高瀬としてはその相手は必ずしも望ましくないことを述べ、暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)
というように想像力豊かに推定し、スキャンダラスな表現も用いながら、以下、延々と推定を繰り返した推定群⑴~⑺を同巻で公開した<*16>。
そしてこの公開を境にして、それまでは一部にしか知られていなかった、賢治にまつわる実名不明の〈悪女伝説〉が実名を用いた〈高瀬露悪女伝説〉に変身して、一気に全国に流布してしまった。よって、筑摩がそれを全国に流布させてしまったと揶揄する人もいる。
【後日談】その後、この時期に『校本全集第14巻』は「月報回収事件」も起こしていたことを私は知って愕然。そしてこの事件は、安易な〝252c等の公開〟と似た構図があることに私は今気付きつつある。どうやら根はかなり深そうで、この当時の筑摩を知れば知るほど身が縮こまってしまう。
一方で、私はあることに気付く。それは『事故のてんまつ』の出版と〝「新発見の252c」等の公開〟の二つは次の点で酷似していて、
㈠ 両者とも、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」という、まさに倒産直前の昭和52年になされたことである。
㈡ 両者とも、当事者である川端康成(昭和47年没)、高瀬露(昭和45年没)が亡くなってから、程なくしてなされたことである。
㈢ その基になったのは、ともに事実ではない。前者の場合は「伝聞の伝聞そのまた伝聞」である「鹿沢縫子」の原話であり、後者の場合は賢治の書簡下書(所詮手紙の反故であり、相手に届いた書簡そのものではない)を元にして、推定困難なと言いながらも、それを繰り返した推定群⑴~⑺である。
㈣ ともに、故人のプライバシーの侵害・名誉毀損と差別問題がある。
㈤ ともに、スキャンダラスな書き方もなされている。
ので、この二つはほぼ同じ構図にあるということに気付く。
ということは、『事故のてんまつ』の出版は「腐りきって」いたことの一つの事例そのものであったと私は判断せざるを得なくなった、と先に述べたが、これと酷似した構図がこちらにもあったから、〝「新発見の252c」等の公開〟もまた、一つの「腐りきって」いた事例であったと私は判断しそうになる。
ところで、この「新発見の252c」等の一連の書簡下書群に対して矢幡洋氏は、
時折、高圧的な賢治が姿をみせる。…筆者略…と露骨な命令口調で言う。
露宛の下書き書簡群から伝わってくるものは、背筋がひんやりしてくるような冷酷さである。ここにおける、一点張りの拒否と無配慮とは、賢治の手紙の大半の折り目正しさと比べると、かつての嘉内宛のみずからをさらけ出した書簡群と共に、異様さにおいて際立っている<*17>。
と論じていることも私は知った。実は賢治には(ただしこの引用文中の「露」は高瀬露であるとは言い切れないので、あくまでも「ある女性に対して賢治には」、という意味でなのだが)、「背筋がひんやりしてくるような冷酷さ」があるということなどを矢幡氏は指摘していたのだった。そこで私は、このようなことを指摘している研究者を初めて知って、目を醒まさせられた。
振り返ってみれば、かなり以前から、これらの書簡下書群に基づけば賢治にはそのような性向があることが導かれることに私は薄々気付いていた。だが、実はかなりのバイアスが私には掛かっていて、これらの書簡下書群に基づいて賢治に対してこのような厳しい言い方を公にすることは許されないのだ、という自己規制が強く働いていたことを覚った。そしてこのバイアスは、女性に対しては厳しく、男性(賢治)に対しては甘く解釈するという男女差別がなさしめるそれでもあるということにも気付かせてもらった。心理学の専門家である矢幡氏の、この書簡下書群についての冷静で客観的なこの考察に私は反論できなかった。
のみならず、このような「冷酷さ」は、たしかにあの〔聖女のさましてちかづけるもの〕にもあることを同時に覚れた。というのは、次のようなことが言えるからである。
まず、〔聖女のさましてちかづけるもの〕は、『雨ニモマケズ手帳』に書かれているので、実際文字に起こしてみると次のようになる。
10・24◎
聖女のさまして
われにちかづき
づけるもの
たくらみ
悪念すべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
純に弟子の礼とりて
乞ひて弟子の礼とりて
れる
いま名の故に足をもて
わが墓に
われに土をば送るとも
あゝみそなはせ
わがとり来しは
わがとりこしやまひ
やまひとつかれは
死はさもあれや
たゞひとすじの
このみちなり
なれや
〈『校本宮澤賢治全集資料第五(復元版宮澤賢治手帳)』(筑摩書房)〉
よって、書いては消し、消しては書きと何度も書き直しているところからは賢治の葛藤や苛立ちが窺える。また、内容的にも然りである。その人を「乞ひて弟子」となったと見下ろしたり、「足をもて/われに土をば送るとも」というように被害妄想的なところもある。一方、自分のことは「たゞひとすじのみち」を歩んできたと高みに置いて、女性のことを当て擦っているところもあったりする。よって、この詩から浮き彫りになってくる賢治は、私の持っていた従来のイメージとは真逆である。まさに、佐藤勝治が「彼の全文章の中に、このようななまなましい憤怒の文字はどこにもない」(『四次元44』(宮沢賢治友の会)10p~)と表現しているとおりだ。
さらに、「あゝみそなはせ」とあることからは逆に、賢治はこの相手の女性のことを以前はかなり評価していたということも言えそうだが、そのような女性に対して「悪念」という言葉を賢治が使おうとしたことを知ると、賢治の従来のイメージからはさらに離れていく。
まさに、矢幡氏が指摘しているような「冷酷」さがこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕にもあることを私は覚れたのである。となれば、賢治のこの性向はもはや否定できない。
言い方を変えれば、「252c等の公開」は、賢治に対しても取り返しの付かないことをしてしまったとも言える。というのは、有名人とは雖も、当然賢治にもプライバシー権等があるはずだ。にもかかわらず、その配慮も不十分なままに、同第十四巻が私的書簡下書群を安易に世間に晒してしまったことにより、賢治には従来のイメージを覆す、背筋がぞっとするような冷酷さもあったということを、結果的に世に知らしめてしまったと言えるからである。
〈注〉
<*13>『國文學 第23巻2号 2月号』(學燈社、昭和53年)一七七頁
<*14>『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)四一五頁
<*15>『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)三十四頁
<*16> 同 二八頁~
<*17>『【賢治】の心理学』(矢幡洋著、彩流社)一五四頁~

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1 ☀一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣
この度、「一緒に晴らしませんか高瀬露の濡れ衣」という取り組みを始めました。
それは、次の二つのことをしていただくことです。
⑴ 『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を読んでいただく。
⑵ 『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』をどなたかに手渡す。
2 〈悪女〉の濡れ衣を着せられた高瀬露
生前、宮澤賢治が、血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露(小笠原露)のはずですが、その露はとんでもない〈悪女〉にされていて、いわゆる〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているという実態があります。しかし、少し調べてみただけでも露はとてもそうとは言えなさそうであることに私は気付きました。そこでこの〈悪女伝説〉をよくよく調べてみたらそれは濡れ衣の可能性が大であり、もしそうであるならば重大な人権問題だから放っておくわけにはいかない。そこで、地の利も生かしながら調べてみたらそれは濡れ衣であることを実証出来ました。その経過とたどり着いた結論などを一冊にまとめたものが拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』です。


これは濡れ衣ですし、人権問題ですから、その濡れ衣を晴らしたいと思っております。つきましては、まずこの理不尽な実態を多くの人に知ってもらいたいと考え、皆さんにこの様なお願いをする次第です。
3 お申し込み方法
このような取り組みに賛同して頂ける方は、以下のような流れでお申し込みください。
⑴ スマートレター(210 円)をコンビニや郵便局窓口などでご購入いただき、宛先欄に「お客様のご住所とご氏名」をご記入ください。
⑵ スマートレターを三つ折りにして、封筒(長三封筒がオススメ)にお入れください。
⑶ その封筒に「〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守行」とご記入し、110円切手をお貼りの上、ご投函ください。
⑷ 投函していただきました封筒が鈴木守に届き次第、スマートレターに『このままでいいのですか『校本宮澤賢治全集』の杜撰』を2冊(本代はもちろん無料です)同封して返送いたします。

⑸ 2冊のうちの一冊はお申し込みを頂いた方に読んでいただく。
もう一冊は、興味のある方に手渡していただく。
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どうぞよろしくお願いいたします。 鈴木守